日蓮宗総本山 身延山久遠寺の北18キロに位置する小室山妙法寺。
持統天皇7年(693年)真言宗寺院として開かれ、後の鎌倉時代に日蓮宗寺院となる。
江戸時代、幕府より10万石を賜り繁栄を極めた。
昭和になり中頃までは賑わいもあったようですが、戦後の農地改革と、本山末寺の関係もなくなり、檀家を持たないこの寺は次第に衰えを見せるのでした。
かつて周囲にあった宿坊も今や一つも残っていません。
戦後多くの日本の寺院がこの様な試練の中で廃寺となったり、また今ある寺院も維持管理に大変なご苦労をされているとのことです。
特に観光資源を持たないため、地元有志によるアジサイの植栽が続けられました。
今ではアジサイの寺で知られるようにもなりました。
総門は1712年、三門は明治30年。
三門は近年雨漏りが進み屋根瓦の葺き替えを必要とする状況となりました。
庫裡の梁も見ごたえのある立派な造りで、晋山式で使われた、新旧二つの御籠が梁に掛けてありました。
昭和47年本堂が焼失しましたが、82世貫首池原日祈上人のお力で平成12年再建されました。
周囲の石垣は野面積で造られ、ここもかなり傷みが見られました。
庫裡には地元出身の婦人が一人、ボランティアで広報と種々の対応に当たられていました。
すっかり寂れてしまった参道、普段は訪れる人も少なく、これからの行く末が心配です。
一人でも多くの方がこちらに立ち寄り、関心を示され寺の復興に繋がればとの思いです。
ハノイはホーチミンに比べよりベトナム色の強い都市、南と同じように熱気に満ちた活力ある魅力的な街です。
年々変わる街の様子は驚くばかり、戦争のない平和がいかに素晴らしいものか実感します。
何気なく入ったホアンキエム湖の近くのコヒーショップ「Vi coffee & tea」、店の若きご主人を始め店員さんも皆さんとてもフレンドリー、ほんのわずかな出会いの中で買い物をして楽しいひと時を過しました。
その後お互いに撮りあった写真のやり取りでFBを通じて友達になりました。
二歳の息子を母に託し都会で頑張るご夫妻、ベトナムの発展と共にお店の成功を祈る気持ちです。
先日彼から新製品のコーヒーが届きました、プレゼントとのこと。
甘い香りの飲みやすいコーヒーを大事に味わいたいと思います。
車の運転と毎日の宿探し、ロンドンまで150km程、少し疲れたのでイギリス南部を諦めコッツウオルズのボートン・オン・ざ・ウォーターに宿を決め残りの日程をここで過ごすことにしました。
町の中心を川が流れ、「コッツウオルズのベニス」と言われ、落ち着いた静かなところです。
ここを起点にフットパスを歩き回ることにしました。
牧場を抜け川沿いを歩き、スローターズに向かいます。
ここは川で結ばれたアッパーとロウワーの二つの村からできています。
目の前に広がる心地よい風景を楽しみながら、ゆっくりと英国旅を満喫いました。
さすが英国のBarは何処でも趣きと風格を感じさせるものでした。
アルコールに弱い私も半パイント(約280cc)のグラスビールを種類を変えて何杯かを楽しみました。
こちらでは、泥酔するとあまり良い目では見てくれないのではと肌で感じるのです。
前日は暗くなっても宿がなく、ハイウェー脇の宿をとった。
食事無しの50ポンド。
今日は朝から雨、一日中車外に出ることもなく憂鬱。
ダラダラと走り回るだけで、日暮れが近づいてくる。
宿が見つからず途方にくれていると、目に映る看板。
矢印につられ、進んで行く。
トラック野郎の専用宿、夕食付で15ポンド。
エッ、安い!
夕食代を除けば10ポンド少々ということになります。
朝からまともな食事をしていなかったので、3食分はあるかと思うボリュームに感謝。
食事はボードに書かれたメニューの中から、自由に選ぶことができます。
大きな体、腕に入れ墨、若い人、そうでない人と口数は少ないが皆親切で、多くのドライバーに囲まれ、お腹いっぱい食事を済ますことができました。
宿のスタッフは皆陽気で、勝手のわからない私を気遣ってくれた。
朝食も夕食に負けないボリューム。
少し残してしまったのが惜しまれる。
シャワーは食堂の脇にあり、部屋は食堂の裏手にあった。
脂ぎった部屋の鍵を渡される。
少しためらいもあったが、値段のことを考えると十分過ぎる。
部屋は狭く、決して綺麗とは言えないが、我慢できないと言うほどではない。
壁の色味が何とも言えない。
疲れもあり、朝までぐっすり眠ることができた。
宿を決めず気ままな旅も、日が暮れるにつれ、今日はどこに泊まろうかと悩むことがある。
ここイギリスでは、主要道路のサービスエリアには必ずと言って良いほど宿泊設備も整っている。湖水地方を抜けミロムからウォルニー島への海沿いを走っていると小さなB&Bの看板を目にした。
今日はここに泊まろう。
白い建物の前はオートキャンプ場になっており、裏手に牧場の施設がある。
オーナーは知的な夫人、ご主人はビジネスマンか朝スーツで出社する。
部屋は広く明るく清潔で、一泊28ポンドはとても安い。
海岸へは小道を通り、フットパスを利用して散策することができる。
干満の差は激しく、潮が引くと遠くまで歩くことができ、羊もそこに放たれていた。
ちなみに、フットパスを利用する際、フェンスなどの扉を閉め忘れると、1000ポンドの罰金と注意書きがあった。
朝食には必ずと言って良いほど出た、ブラックプディング(血を混ぜたソーセージ)はカリカリに焼いて、とても香ばしく美味しいものでした。
地図の中に見つけたLittleTownという町、行けば 数戸の農家が点在していた。
英国では、整備されたフットパスを利用してハイキングを楽しむことができる。
フットパスとは、個人が敷地を提供して、誰でもが自由に通行することを許す制度です。
湖水地方の北部ケスウィックの近くに位置する。
宿は農家が経営するB&B,一泊35ポンド。
荷を降ろしフットパスを行く。
夕食は出ないので、歩いて40分程のパブへ出向いた。
朝は早く起床して散策に出る。
山を登りきると湖の向こうにケスウィツクの町を望むことができた。
ほとんど人に出会うことなく、目にするのは羊ばかり、のどかでゆっくりした時間を過ごすことができました。
夕刻、ロンドン・ヒースロー空港を降り立ちレンタカーを借りる。
ナビ無しでスタートし、先ずは水と地図を最寄りのGSで確保する。
一路北に向かうが、どちらが北かも分からない。
全くの土地勘無しで、ロンドンを抜け、明らかに北へ向かう道路を走行するまでに2時間を要した。
睡眠は十分にとっているので、とにかく運転を続ける。
走ること1300㎞、ようやくスコットランドにたどり着く。
あいにくの天気で、荒涼とした風景が広がる。
また多くの動物が車に跳ねられ、被害にあっている。
リス、ウサギ、そして羊までも4本の足を空に突き上げ、道路脇に横たわっていた。
また、カモメの遺体にも遭遇した。
鹿の標識を良く見かけたが、鹿もこの運命にさらされているのであろう。
時折陽が差すものの、曇天が続く。
風景も人も、明らかに違うのに、外国へ来たという実感がない。
これからロンドンへと少しづつ南下して行くつもりである。
グラスゴーに入いると、中村俊介選手の活躍したセルティクのスタジアムの脇を通過した。
何となくすさんだ光景で、フーリガンの怖さが頭を過った。
グラスゴーの駅は古く趣のある駅舎です。
車もホームの駐車場へとそのまま入れます。
スコットランドからイングランドに入ると、国境の町カーライルに着く。
かっては北方からの侵略に備えての重要な軍事拠点とのこと。
ここに宿を取る、部屋は狭いが清潔で静か、40ポンドでした。
早速初めてのパブを体験する。
酒には自信がないので、ハーフパイン(1パインは0,57ℓ)で3種類のビールを飲んだ。
泥酔すると罰金とのことも耳にしたので静かに宿に戻る。
西安は北京から西へ1275㎞、西域の玄関口として栄える、かつての都、長安。
そこから東へ35㎞に秦始皇帝陵がある。
一度は見てみたいと思った兵馬俑の群像は始皇帝陵の1.5㎞東の兵馬俑博物館で見ることができる。
チケットを購入してゲートを通過すると、長い列に並ぶことになる。
博物館に行くためのシャトルバスを待つためです。
一号坑館はドイツの援助にて建設され、大屋根で覆われている中には映像で見慣れた世界が待っているのです。
中に入ると圧巻!
目の前に広がる兵士の群像は想像を超えた圧倒される世界でした。
1号坑館の中では修復作業も行われている。
俑の一体一体には制作者の名が彫られ彩色されている。
しかし、外気に触れることにより色は褪せ、やがては失せてしまう。
私にとって特に目を引き感動したのは二つの銅車馬である。
実寸の二分の一に作られた車馬は、発掘時土砂でつぶれ、皇帝を護衛する傘付の車馬は修復に一年、皇帝を乗せる車馬は修復に三年かかったと言われます。
暗い館内、ガラスケースで保護されライトに浮かぶ二つの車馬は、時代を超え今目にすることの奇跡に驚きを覚えます。
見学を終え、帰りは徒歩でゲートまで戻ります。
きれいに整備された通りには、左右に土産物店が並び、見学者の足を止めます。
市内の陝西歴史博物館には始皇帝陵からの出土品を始め、多くの美術品をみることができます。
少し私の目に映った、西安の一コマををご紹介いたします。
通りでザクロ売る人、菓子を杵で搗く人、大きな望遠鏡をバイクに乗せ有料で月や土星を見せる人。
市内北門院街の夜市等です。
ニューヨークで車を借り、1週間で1900㎞走った。
メイン州カナダ国境近くの小さな町ゴールズボロの宿で一組の家族と出会った。
ご主人は万華鏡の制作者で いくつかの作品を見せていただいた。
立派なケースから取り出された万華鏡、真鍮製の、クラッシックな望遠鏡にも似た繊細なつくりの万華鏡。
細く長いガラス管、オイルの中、静かに落ちる色とりどりの物質を光を通して見る万華鏡は、時を忘れ息を呑む至福の世界でした。
以来、頭の片隅にいつもあり、テレビの番組がきっかけで万華鏡を作る衝動に駆られました。
最初に制作したのがテレイドスコープ、筒先に水晶玉を置き覗くものです。
外の景色が 筒の中で展開します。
本体の筒は塩ビ管を使用し、ラインストーンで飾り付けました。
妻にも協力をいただき、時間のかかる、根気を必要とする作業でした。
万華鏡の世界の撮影には携帯電話のカメラ機能を利用しました。
動きを止めるため、下からライトを当て、苦労しました。
試験管の中には、シリコンオイルを使用、様々な粘度を試しましたが、粘度の低い方が滑らかな動きを見せました。
ビーズ、スパンコール、色ガラスを砕いた物と、組合せに限りはなく、無限の世界が広がります。
試験管は、透明のビー玉を使用し強力接着剤で塞ぎました。
オイルを使用して滑らかな動きを作るのを、オイルワンドスコープと言います。
試験管を取り付けるために自己流に考えた末、ホースの留め具を利用してみました。
それなりに成功したと思っています。
鏡を3枚使用と2枚、4枚と色々とありますが、私は2枚使用(2ミラー)を手がけました。
2ミラーの角度は36度、筒の径の大きさの中で世界が展開します。
比較的見易く、造りやすい点でお勧めです。
何度か制作する過程で、簡単な構造を知ることになり、試してみました。
筒本体に試験管を通す穴を開け、ゴムの輪管で試験管を固定します。
裏打ちした布で塩ビ管を巻き、少しのラインストーンで飾りを入れました。
最初に比べ、グッとラクになり、思い入れも少なくなりました。
タイは日本の国土の1.4倍、人口はほぼ半分、険しい山は少なく起伏の穏やかな大きな平野だ。
バス路線が整備され、国内いたる所、安く、鉄道よりも早く行くことがでる。
限りなく真直ぐに延びる幹線道路、単調な景色の移り変わり、その向こうに興味をそそられる。
タイの東北部イーサン、国内でも貧しい地域とされる。
塩害や保水性のない土質等、話では耳にするのですが、旅行者の私にその実態に触れることは難しい。
コンケーンがイーサンの中心都市に対し、ここコラートはイーサンの玄関といわれる。
コラートはかっての呼び名で高原を意味してる 、今はナコーンラーチャシーマである。
旧市街を中心に大きく広がるこの町は、活気があり、賑わっていた。
堀に囲まれた旧市街の中心部には、プミポン国王の写真とターオ・スラナリーの像が置かれている。
女性であるターオ・スラナリーは19世紀前半ラオス軍から街を救った英雄として祭られている。
ひっそりとした国王の写真の周りに比べ、ひときわ賑わうターオ・スラナリー像前の人達に、その人気ぶりが伺える。
人は常に試されていると思うのですが、普段その自覚は無いに等しい。
タイに来て思うのに、常に試されているのではと気づかされる。
親切に対し反射的に身構え、不審の念を持って失礼な態度になってしまう。
ここでも、道に迷っていると、三十代の品のいい女性に日本語で声をかけられました。
バンコクの大学で日本語とフランス語を学び、故郷のここで暮らしているとのこと。
日本語を話す機会に恵まれたのだろうか、街を案内しましょうかと言われましたが、反射的に断ってしまいました。
後で思えば、出会いを一つ失ったことを後悔してます。
混雑したバスターミナルでも、乗り場を探していると、若者がいきなり近づき、手に持ったチケットを強引に見るや、人をかき分け、私を乗り場まで案内してくれました。
宿は旧市街に、建物は古いのですが、部屋は清潔でエアコンの効きも良く550バーツ(1バーツは2.8円)ちなみにエアコン無しのファンのみの部屋は270バーツでした。
夜はナイトバザールへ、地元の人で賑わっています。
タイは何処でも露店商が多く、食べ物から衣服まで、集まればマーケットとなり、ナイトバザールとなるようです。
街中店が閉まっても、あちらこちらで軒を借りてまた店が始まる。
客も結構ついている。
街で出会ったアメリカ・シカゴ出身の不良?英語教師によれば、大阪、東京、バンコク、パタヤ等と各地で教師を勤めたが、ここコラートが一番と、私に長期滞在型のアパートを勧めてくれた。
庶民的なお店ばかりではなく、お洒落なお店も沢山あります。
バンコクから、3列シートゆったり席のVIPバスで4時間弱の198バーツ。
途中パンとお水のサービスあり。
郊外にはピーマイの遺跡など多くの歴史遺産があります。
今だ現役!
小学生の頃、親に買ってもらった鉛筆削り器。
その後いくつかの新人にマウンドを譲ることはあったが、控えとして静かにベンチを温め続けた。
全ての後任は現役を去り、最後にマウンドに立ち戻った。
もはや、後任の余地はない!
傷つき汚れ、やたらシールを貼られ剝され、見るも恥ずかしい異様な姿。
しかし、未だシャープな切れ味!バネの戻りも続投可能!
半世紀を生き延びた我に賞賛あれ!
お互いに還暦を過ぎ、髪の毛も真っ白。
今では4人目の孫を膝に抱くことになった。
古いネガフィルムをスキャナーでPCに取り込んでいると、懐かしい思い出の写真に目が留まる。
2人で半年ほどヨーロッパを巡り、たくさんの出会いと別れを経験した。
私には初めての外国、格安航空券を求めアエロフロート機で1人往復28万円。
モスクワで乗り継ぎ、重々しい中、銃を構えた兵士の警備に小さな緊張を覚えた。
シャルル・ドゴール空港は夜の到着、パリの街並みはオレンジ色の光包まれていた。
知人に予約していただいた安い宿(☆星のないホテル、流れ星と教えられた)へと身を置きこれからの旅に希望を託す。
36枚撮りのフィルム20本を鉛のケースに入れて。
タイ・バンコクの南150キロのリゾート地・パタヤの北に位置するサンクチュアリー・オブ・トゥルース。
タイの巨大木造建築の技術と伝統を守るため1981年より建築がスタート。
その後修復が加わり、いまだ建築が修復とともに行われている。
崖を背に、海辺にそそり立つ、高さ105メートルの建物である。
圧巻だ!見ものである。
少し高めの一人500バーツを支払いシールを胸に貼る、私は汗ですぐにはがれてしまったが。
入り口には馬車が用意してあり。崖の淵まで案内してくれる。
展望台より階段で下に降りると、ヘルメットを渡されガイドが付く。 ガイドはミャンマー出身であった。 ここでは、ミャンマーの他、カンボジア、ラオスの人が建築、彫刻に係わり、また施設のスタッフとして働いている。
そばに来ると、建物はさらに大きく壮大に目に映る。
作業する人は皆のんびりと穏やかに仕事をしている。
風雨にさらされ、傷みも進むのか、建物の脇には解体された部材が放置されている。
この分では、造っては直しの繰り返しで、いつまで続くのか、完成を見届けたいものです。
建築は色々な様式が取り入れられ、外部も内部も変化にとんでいる。
上空から見ると十字形をしており、天井は高く、四方から風が取り入れられる。
建築中ということで、宗教的な雰囲気は感じることはありません。
そもそも、ここはテーマパークとでも紹介すべき所です。
様々なイベント、象やボートに乗ったり、一日に数回ショーも行われます。
おすすめは、建物脇で飲んだジュース!
美味しかった~ァ!
喉が渇いていたことは別にしても、お試しあれ。
私はパイナップル・ジュースにトライしました。
タイの首都バンコク市内のカオサン、世界中のバックパッカーが集まることで知られています。
「カオサン」とは「白い米」とのこと、昔ここには米問屋が多くあったと言う。
ちなみに私のよく食べるカオパットは炒めたご飯、キンカオとはご飯を食べるである。
カオサン通りを歩くと、上のほうから大きな音が聞こえる。
興味を持って行けば、3階にライブ・ビヤバー「ルーフ」多くの若者がビール片手に、ひしめき合って歌い踊っていた。
私の周りには、イラン、オランダ、スゥエーデン等の若者が集まり会話が弾む。私もおおいに盛り上がる!
オランダの女性はこれから、カンボジア、インドネシアと回り、半年の旅行と言う。
バンドの演奏はU-2の「I Still Haven」「Vertigo」「Stuck In A Moment」etc.と客も皆大きな声で歌っていました。
カオサンの夜は本当に暑く熱い!
8月の暑い盛り、自転車を輪行し渋川駅で降りる。
初めての輪行、早速駅前広場にて自転車を組み立て、暑い中まずは体を慣らす意味で前橋まで寄り道しながら20キロ走る。
事前に予約した駅近くのホテルにチェックイン。
明日からの走行のため、充分な食事と睡眠を取る。
充分の水と少しの食べ物を用意して、朝8時にチェック・アウト。
利根川のサイクリング・ロードへ向かう。
蒸し暑いなか快調にスタート!途中眺めも良く順調に距離を伸ばす。
やがて景色は単調になり、水を飲む回数が増える。
暑さはピークに達し河川を離れ、コンビニで何度も水を補給、先ずは500cc1本一気飲み!
関宿まではもうすぐ!利根川と別れて江戸川だ!
終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎記念館がある。
ここからは、走りなれた道。
少し疲れは出たものの、気持ちは余裕で自転車に乗る。
野田を過ぎると、雲行きが悪くなり雷の音が遠くに聞こえる。
周りに何もない土手の雷は危険とのこともあり、漕ぐ足に力が入る。
そのうち左右に稲妻が光り、雨も降ってきた、先ずは橋の下に避難。
雨が小降りになるのを待って再び走行。
松戸に入るとまた雨は大降りとなる。
河川から離れてコンビニの軒を借りる。
その間、雷で目の前の信号が3度も停電で機能停止。
いつまでたっても雨が上がらないので帰路につく。
ずぶ濡れになって、夜の8時に帰宅。走行距離160キロ!疲れた!
飲んだ飲み物・・・500ccのペットボトル16本
アイスクリーム・・3個
走行中・・・・・・一度もトイレタイムはありませんでした!
朝の快調なスタートが、遠い昔のように思われた。
ここタイでは、11月は雨期明けの、1年を通じてもっとも涼しく、過ごしやすい時期。
バンコクから12時間、途中何度も休憩をはさむ412バーツのバスの旅。
オレンジ色の光に包まれ朝を迎え、朝7時にナコーンパノムに到着、早速宿を探すつもりで通りに出るやいなや、新車のピック・アップに乗ったビジネスマンに声をかけられ宿に案内していただく。いきなりの親切に感謝!感謝!
朝早いチェック・インとのことで+30バーツの430バーツ広く清潔でエアコンの良く効く快適な部屋でした。山になった洗濯物も下着にまでアイロンのきいた仕上がりでした。
ナコーンパノムは「丘・山の町」と言う意味があり、仏教の聖地とも言われています。川の対岸はラオスの町ターケーク。
ゆったりと穏やかに流れるメコン川、日射しは暑いものの、木蔭に入れば気持ちの良い風に吹かれ眠気を誘う。
宿から自由に使えと貸していただいた自転車に乗り、気ままに街中を走り回る。
町の人は皆親切でいつも笑顔で対応してくれる。コンビニで買い物をしたら水を1本おまけしてくれた。こんなのあり?
一人旅は派手なところはそぐわない、川沿いのレストランでカオ・パット(チャーハン?)とカエルの揚げ物を注文する。ボリュームもあり美味しかった。昼食代180バーツ。
メコンの流れをぼーっと眺めながら、川風に吹かれ時間が止まったかのように木蔭で過ごしました。
夜は宿の主人に勧められマーケットへ行く。
屋台の品を一つ一つ注文し、食べ歩く。
夜空は期待通りの満天の星、タイの賑わいとは違い、対岸のラオスは真っ暗!かすかに淡く、ミルクを流したような天の川も見ることができました。
明日も期待します!
ナコーンパノムはかってホーチミンが7年ほど生活していた所、今でもその簡素な家が記念館として公開されています。
朝はとても涼しく薄手の上着を羽織ってちょうど良い、しかし陽が上がるとたちまち暑くなり、あっという間に汗が噴き出す。
今日はメコン川に沿ってノンカイまで7時間バスの旅。
バスターミナルではタクシーの運転手が集まり朝食を共にしていました。
私も呼ばれる、辛いのは分かっていたのだが挑戦!籠の中のご飯を指先で丸め皿の具に浸けて食べるのだが、その辛いこと辛いこと、口の中で火を噴くとはこの事かと思った。
皆が笑いながら「美味いだろ、美味いだろ!」との声に、うなづく余裕もありませんでした。
ノーンカーイは国境の町、対岸はラオスの首都ヴィエンチャンである。タイ・ラオス友好橋が架けられ、陸路にてラオスへ行ける。
活気のある大きな町で、ラオスの民芸品が豊富に見られる。
町の移動はもっぱらトゥクトゥク、値段の交渉は私の場合だいたい半値で交渉成立。
高いか安いかは、後でホテルのスタッフに聞いてみたところ、相場で利用できたみたいです。
大きな町なので移動に無理があり、町の様子を伺い知ることができませんでした。
夕食は川岸のフローティング・レストラン、雰囲気も良くビール、ナマズの揚げ物にんにく風味とカオ・パットこれで320バーツ。
いつも30~40バーツの食事代の私には豪華!
ナマズもイメージと違い淡泊ではなく、しっかりした味でした。
ノーンカーイはやたらヤモリが多く、明かりのある所、必ず5~6匹目にすることができました。
何度も目を覚まし5:30AMに起床。
真っ暗な中、やはり星空はきれいでした。
宿でコーヒー(35バーツ)を飲み、メコンの川岸に向かう。
もうすでに暗い中、散歩、ジョギング、自転車と多くの人が行きかう。
涼しいとはいえ私は袖なしのシャツ、中には厚手のジャケットを着ている人を何人か目にしました。
通りに面して僧侶の托鉢に供物を用意している所を、いたるところに見かける。
宿(ホテル)も小分けにした供物を用意していました。